五感に響く、言の葉。

デザイナーになるvo.1<あさの千幸さんインタビュー>

 

ドアをあけると、Tシャツにジャケットをさらっと羽織り

あふれる笑顔でお出迎えしてくれたのは、

オートクチュールデザイナー「あさの千幸」さんだ。

 

余計なものは身に纏わないシンプルなスタイルが、飾らない格好よさを感じる。

2009年オートクチュールデザイナーとして

ブランド「asanochiyuki」を立ちあげてから14年、

ひた走ってこられたルーツはどこにあるのか。

お話を伺いました。

 

デザイナーをめざしたきっかけは嫌いだったセーラー服

 

― いつからデザイナーをめざしましたか?

「中学2年生のころですね」

 

― デザイナーをめざしたきっかけというのは?

「中学時代の制服のプリーツのスカート(セーラー服)があまり好きでなく、学校にいくときは体操服を着ていました。あるとき美術の先生に、『裾からジップアップのタイトなワンピースだったら制服着るのにな』と、ぽろっと話したら『それなら自分でデザインしてみたら?』といわれて描いてみたのですが、うまく描けず『服ってどうやって描くの?どうやってデザインするの?』と思ったのがきっかけだったかなと思います」

 

― セーラー服はなぜ嫌いだったのですか?

「その当時はガリガリで、細い人用の服というのがあまり売ってなく、服に着られる感があって。からだにそった曲線の服に憧れる中学生でした。セーラー服は直線的だったから嫌いだったのかも知れないです」

 

― セーラー服に憧れる学生も多い中、あさのさんは中学生のときから、からだにあっているのかどうかが服を選ぶ基準になっていたようです。

「中学3年生のとき、私を指導してくれていたおばあちゃん先生が『あなたはデザインに興味あるんでしょ』と、奈良県にある和裁と洋裁が学べる高校に進学するよう勧めてくれて、試験のために勉強も教えてくれました。先生に私は救われていました。中学校にあまりいっていなかったから、ましてや高校にいく気なんてまったくなかったですからね。奈良県の高校に入ってからは、和裁も洋裁もしっかり学びました。高校卒業後はもっと専門的なこと、本物を学びたいと思って、本物=フランスじゃない?と、単純なのですが、フランスに留学できるファッションの専門学校に入りました」

 

― 高校生らしい勢いのある決断で、フランスへの切符を手にしたあさのさん。いよいよ未知な世界のはじまりです。

「フランス校2年生のときは総合的に学ぶ授業で、つくったものでハマったのがスーツ、ジャケットとパンツ。3年生でオートクチュールを選択しました」

 

ー 専門学校でオートクチュールを選んだ理由とは?

「たとえば袖ってストンとまっすぐなデザインだと思っていたのですが、まっすぐだと人間のからだにあわないんです。シンプルなジャケットひとつにも、からだにあうよう細かい工夫がたくさんあるという発見をしてから、絶対オートクチュールにいきたいと思いました」

 

― 中学生のときから想い描いていた“人のからだにあうシンプルなデザインの追求” は、オートクチュールとの出逢いでより具体的になっていったようです。

「卒業後の研修では報酬は一切なく、貯金を切り崩しながらの生活でした。アジア系のデザイナーのもとで古着をリメイクしてデザインするというアシスタントに入ったとき、手にハサミをくくりつけて血だらけで裁断するだけとか、通訳するだけとか、もうほんとに修行苦行が2年。いろいろなデザイナーのもとでアシスタントをしたのち就職しました。最初の就職はコレクションブランドにデザイナーとして入ったけれど、実際はアシスタントデザイナーとして低賃金で働きました。

 

 

アシスタントデザイナーの給料だけでは生きていけないので、他にヨーロッパの輸入品を販売している日本のセレクトショップに、ヨーロッパの洋服を卸したりしてなんとかやりくりしていました。でも、修行しているときも地獄とは思わなかったですよ。確かに辛かったですが、あたりまえだと思っていました。悔しいから“絶対自分でブランドやる!”というやる気も芽生えたので、今となってはよかったなと思います」

 

ー 中学生のときの“制服”からはじまり、迷いなく進んだフランスでの生活。フランスでのファッション修行を送った日々があさのさんに与えたものとは?

 

次編につづく。