五感に響く、言の葉。

伝統工芸から学んだ自由とは vo.1<日本刺繍作家 田中京子さんインタビュー>

 

待ち合わせは鎌倉にあるレストラン。

 

早めに到着したつもりだったが、

すでにレストラン前のベンチにちょこんと腰かけて待っている姿があった。

 

日本刺繍作家の田中京子さんだ。

「京子さん」と声をかけると、少しはにかみながらも屈託のない笑顔で迎えてくれた。

 

日本刺繍とは日本の伝統工芸のひとつに数えられる。

主に着物や帯に用いられてきた格式の高い刺繍である。糸は絹糸の”釜糸”と呼ばれる釜の中の繭から繰りとられた”撚り”のない(ねじり合わせていない)平らな糸を多く使い、太さに変化をつけて用いるのが特徴的だ。伝統工芸といったらなかなか身近にあるものではなく、逢いにいかなければ出逢えないという印象が私にはある。

伝統工芸である日本刺繍に携わるなかでどんな想いを抱いたのか、お話を伺いました。

 

― いつから日本刺繍作家をめざしましたか?

「美術の大学に在籍中、日本刺繍を学んでいました。めざすようになったのは大学を卒業して2~3年してからですね。大学のときはコンプレックスのかたまりでした。

大学を卒業後は、当時両親が望んでいた『就職ではなく“花嫁修行” 』の道を選び、生活費はアルバイトでまかなっていました。

美術館でアルバイトをしていたとき、いろいろな作品に触れながらものづくりに心が惹かれ『刺繍作家になるのもいいな』と意識するようになりました」

 

― 大学のときに感じていたコンプレックスとは?

「褒めて育てる文化が当時はあまりなかったのかも知れません。

個性を尊重するとしても個人差を理解してもらっている印象はなく、よく怒られもしましたし『自分はできない子』なんだなと受けとめていました。

基本からはずれるものを良しとしていない印象がありましたね」

 

 

― 日本刺繍との関わり方は収入を得るための仕事としてか、作品作りで表現するアーティストとしてかどちらだったのでしょうか?

「アーティストになりたかったですね。特に裕福というわけではなかったのですが生活費に困るほどでもなく、刺繍をして作品を作れば親も喜ぶからつづけていたという感じでした」

 

― 作品作りに没頭できる環境だったのですね。卒業して2〜3年後になぜ日本刺繍の作家をめざしたいと思ったのですか?

「日本刺繍の先生のもとで学んでいたのですが、伝統工芸展に出展された先生の作品がとても素敵で、いつか私も伝統工芸展にだしたいなあと思うようになりました。

日本刺繍は基本的に着物の柄、古典的な着物に使用する柄が多いのですが、その先生には洗練されたオリジナリティがあり『こういうふうに表現することもできるんだ』と、ちょっとした衝撃をうけました。色使いも刺繍の糸にも変化があり、大学で学んだ手法とは異なりワクワクしました」

 

 

― 抑えていた気持ちが解き放たれたようですね。

「そうですね。先生は絶対に否定をしない方でした。作家は自分の作品を否定されることほど辛いものはないですよね。だからよくわかってくださっているのだなあと思いました」

 

― 先生とはどこで知り合ったのですか?

「友人にみせてもらった雑誌に先生の日本刺繍の教室情報があり、自宅から近い場所だったので通いはじめました。

先生に初めてお会いしたとき、『日本刺繍の先生ならお着物姿でいらっしゃるかな』と緊張していたらラフなスタイルでいらして、キャリアのある先生ですが気さくで話しやすかったのを覚えています。

私が学生時代怒られてばかりだったと話すと、『うちは怒らないわよ』とおっしゃってくださり安心しました」

 

― その先生の生き方やお仕事のスタイルが京子さんの求めている世界だったのですね。

「先生は、『自然のものは形がいびつでいいのよ。落ち葉とか、ひとつとして同じものはないでしょ』とおっしゃっていて、学生時代に形が揃っていないと却下されたのが先生には真逆なことをいわれ『好きだなあ』と思いました。

今でも私はフリーハンドで図案を書いていて、二つと同じにはならないです。古典柄は資料が残っているので日本刺繍作家ならトレースすれば誰でもできるのですが、私は私だけの刺繍をしたかったんです」

 

-いわれた通りに行うべきだと自分を封じ込めていた想いが、日本刺繍作家の先生と出逢い一気に解き放たれた田中さん。古い歴史を持ち、普遍を重んじられてきた伝統工芸のなかでむしろ自由を知るとは、なんと興味深い生きざまなのか!

 

自由を知った田中さんに訪れた変化とは?さらに深掘りしていきます。

 

次回へつづく