五感に響く、言の葉。

一生する仕事を探して vol.1 <岡野則子さんインタビュー>

 

「お待たせ〜」

黒いスポーツタイプの自転車で颯爽と登場したのは、航空会社にて国際線のCAを経て

現在は月島でナチュラルフードカフェ『Manu Ku(マヌ・クー)』を営んでいらっしゃる

岡野則子さん。

ショートカットにさっとターバンを巻き、キュッとエプロンを絞る。

 

CA時代を思わせる手際のよさだ。

ナチュラルなメイクからのぞく大きな黒目にはどこか人懐っこさをおぼえる。

CAからカフェオーナーへ、大きな転身を決めた理由はどこにあるのか

お話しをうかがいました。

 

―はじまりは高校生のときに通ったパン屋さんー

 

―英語の仕事かパン屋さんを目指していたという岡野さん。

「CAを目指したきっかけは “実家をでて自立したい” と、思ったからなんです」

 

―意外な幕開けでした。

CAといえば海外に自由にいける華やかな印象でしたが、

岡野さんにとってのきっかけは現実的でシンプルなものでした。

 

「高校生のときにちょっと美味しいパン屋さんが学校の近くにあって」

 

―話のはじまりは高校生の思い出にさかのぼります。

「パン屋さんには小さいテーブルにちょこっと小さなパックのドリンク、

そこでちょっと食べられますよというコーナーがあるだけで

でも、こんなに美味しいのだから

それをもっとちゃんと食べられる ”カフェ” があればいいのになぁと。

この当時の日本にはそんな喫茶店はなかったので “私が作るから!” と、

みんなにいってました。

パンが好きだったんですよね。

それで、パン屋を目指すか好きな英語の仕事につくかと考えたときに

パン屋になってから英語の仕事は難しいけれど

英語の仕事をしてからパン屋を目指すことはできるかもしれないと

最初は英語をいかせる仕事としてCAを選びました」

 

 

―こうしてスタートした社会人生活で自立を果たした岡野さん。

ここから岡野さんの扉が大きく開いていきます。

航空会社に入社し、8年で退社。

どんな気持ちの変化があったのでしょうか。

 

「母親が60歳で他界したので、

私は30歳までにきちんと一生続けられる仕事をみつけたいと思っていました。

CAはやはり身体がキツいので一生するつもりはなく、

結婚したらやめてパンの先生になろうと思っていました。

8年経ち身体もキツくなって今こそパンの出番だ!と思って退職を決意するも、

状況が一変!

パン屋はあきらめ、生活のためにいろいろな仕事をしました。」

 

―こうして“一生する仕事” を探す岡野さんの旅が始まりました。

 

航空会社を退社後は飲食店や派遣の仕事、商品販売など多くの仕事に携わります。

そんな折、人生を変える出来事が彼女に突如襲いかかりました。

 

岡野さん旅の始まりにいったい何があったのでしょうか。

この続きは次回へ。