五感に響く、言の葉。

新たな居場所をつくるために土を耕しはじめた

2024年6月

13年続いていた仕事が終わりをむかえた。

 

毎月5~8本の仕事が同時進行するなかで

終わりとなった仕事は中心的なものだったせいもあり

「本当に長かったね」

「お疲れさま、今までがんばった」と、心の底から自分自身を労った。

 

と、同時に労った言葉が”衰退という沼”へ導きはじめ、

私の心はだんだん錆びつきはじめた。

 

13年間挑戦し続けた仕事の大きな存在がなくなって

ゆとりとも気が抜けたとも何ともいいがたい気持ちというか……

単に大きく深いボコンっと、えぐられたような穴ができてしまったようだった。

この穴をどう潤したらいいものかと思いながら、

ただただ時間だけが過ぎる何も残らない”無意識”という

負の異物を生んでしまったのだ。

 

”無意識”の負の異物を生んでしまった私は

大切な時間を駄々洩れさせる罪悪感をもちながらも

どっぷり浸かる錆びた自分に悶々としていた。

 

幾日も幾日も悶々としている自分とつきあうのがだんだんしんどくなってきて

友人をはじめ、同世代の方々や仕事の先輩たちに

今の私の気持ちを話したり、皆さんのいろんな話を伺ったりして

悶々とした気持ちを吹っ飛ばしたかった。

しかし、オタク気質で人とのコミュニケーションが苦手な私にとって

やっぱり続くはずがない。

 

自己嫌悪に陥った日々の繰り返し。

 

”無意識”な時間を過ごしながら2ヶ月になろうときが経ったころ

「私はいったい何を大切にしたいんだろう」と、

錆びついた私の心にプツプツと

前に動こうとする細胞が音をたてて芽生えはじめた。

次第に自分の心を耕しはじめるプツプツ音が大きく連続して響き、

悶々としていた異物が老廃物のように流されていくのを感じた。

 

老廃物を吐き出し、これらの自分の心に向き合いながら、

私が選んだ行動は自分の内なる心に耳をむけて”書く”ことだった。

”無意識”から”自分ごと化”を意識しはじめたのだ。

 

まずは、私自身が労った瞬間から”衰退の沼”にはまった呪いを解くために

今の自分の気持ちと、これから自分がしたいコトを書きだした。

悶々と問いかけていた自分に対して

ノートにペンを自由に動かすだけで気持ちがラクになって

心と頭のなかがスーっとクリアに。

ノートの文字をみつめながら考えると

自分が書いたモノやコトもだんだん鮮明になってゆく。

まるで雲のように悶々としてい気持ちが晴れてゆくようだった。

 

次に書いたのは、今までの仕事の経験や実績。

これは私の宝物で私の一部だ。

 

「これからの私はどうしたい?」と、内なる心に耳をかたむけながら

自分の宝物のひとつ一つを書きだしたり、線でつなげたりして

新たな道すじが生まれたときは「やったね!」と、

内なる声が軽く跳ね上がるほど、なんとも愉しい時間だった。

 

今の仕事をはじめてから20年以上経つが

目の前にある多数の仕事に邁進し、挑戦し続けてきた私にとって

このタイミングで新たな時間の使い方や人生の過ごし方を再確認するための

貴重な時間だったのかもしれない。

 

そしてこの貴重な時間のなかで気づいたのは

自分ごとなんだから、

ときの流れを愉しみながら自由気ままに操縦してゆこうという

豊かな気持ちのもち方も得られた。

 

私は約2ヵ月間の長い夏休みを経て

新たな私の居場所をつくるために土を耕しはじめた。

 

と……

書き終えた数日後、体調不良で何年ぶりかの絶不調。

1ヵ月間寝たり起きなりの状態だったが

悪いものが全部でていった感じで今ではスッキリ!

 

2024年の夏、

数年後に「あんなときもあったねぇ」と、笑い話になっていればいいかなぁ。